keepr’s diary(本&モノ&くらし)

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【Music 私的感想】「新宿の女」藤圭子

藤圭子「新宿の女」のイメージ

 


新宿の女

 

謡曲・演歌の話題です。Amazon Echoでアレクサが流してくれた藤圭子の「新宿の女」がとても懐かしかった。

 

この曲が発売されたのは1969年。藤圭子のデビュー作である。もしかして現在では藤圭子と言っても「誰その人?」「宇多田ヒカルのおかあさん!」といってようやく分かる人が多いのかも知れない。うーん…

 

この頃、70年安保に向けて学生運動、中でも全共闘が若者の心を惹きつけていた時代だが、運動の分裂過激化で支持者が減り、70年安保の反対運動も失敗し、喪失感、挫折感が広まっていた。

 

ネット、ブログでよくコメントされているとおり、そんな時代の心情に合っていたのが、人形のような顔、投げやり、虚無的だがドスの利いた演歌を歌う藤圭子だった。特に「圭子の夢は夜開く」の暗い歌詞は夢破れた世情、心情によく合い、藤圭子は反体制のシンボルのような幻想を生んでいたのだ。

 

両親が北国の貧しい旅回りの浪曲師で、小学生の頃から彼女の歌が一家の生計を助けていたという生い立ちもそうした傾向を強めたかもしれない。

 

ちなみに当時のこうした反体制の時代にいた人間から見ると、現在のリベラルの窮屈な風潮は決して理想が実現したとは思えない、どこかで何かが間違ってしまったとしか思えないのだが…

 

 

さて、藤圭子の話に戻ると、彼女は2学年ほど上の世代。ブレイクしたのは自分の高校時代だった。

 

「圭子の夢は夜開く」は「151617と私の人生暗かった」は同世代の自分のことを言われているようで何やら恥ずかしかったし、「昨日マー坊今日トミー、明日はジョージかケンボーか」という歌詞は自分とは別の世界のことで、実はあまり好きではなかった。

 

当時良くギターで「命預けます」の弾き語りをしたが(流しですな😁)、どすの利いたその曲のほうが歌いやすくて好きだった。

 

今、藤圭子の曲を聞き直すと、デビュー作の「新宿の女」あたりが適度に明暗が合って聞きやすいと思うようになった。

 


藤圭子 新宿の女 女のブルース 7インチシングルレコード

 

この曲に限らず藤圭子はあの頃文化の中心だった新宿に縁がある曲が多い。また、人形のような顔と黒のトックリセーター、白いギターのイメージが強い。冒頭のイラストはそんな印象を描いてみました。

 

 

藤圭子のあの暗い情念は唯一無二のものでやはり特別な人だったのだろう。

 

亡くなられたあとに旦那さんと娘さんが、1988年頃から精神疾患にかかっていたと告白していたが、晩年の彼女はひとり気ままに世界旅行を楽しんでいたらしい。

 

幸せかどうだったかは結局他人にはわからない。

 

ご冥福をお祈りします。

 

(敬称略)

 

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