6月になった。今年ももう半分近く過ぎてしまったことに驚く。月日が経つのが余りにも早い。
6月と言えば梅雨と雨に濡れる紫陽花が思い浮かぶ。ほかには…
そう、自分の好きな詩の題名も「六月」だった。
「六 月」
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
『茨木のり子詩集』より引用
中学か高校の教科書に載っていたのだと思う。茨木のり子さんの詩は、平易な言葉で感受性に富んでいるだけでなく、鋭い社会批判も盛り込んでいる。
「六月」の第1連(初めてこの言葉を使います😂)はドイツあたりにありそうな農村の力強い労働讃歌で、素朴で清々しい情景が思い浮かぶ。黒ビールのジョッキを酌み交わす姿が絵になりそうだ。
第3連は多分作者の一番言いたいところで、同じ時代を共に生きる、人と人の共感への想いが強く伝わる。
自分が一番好きなのは第2連で、すみれ色の夕暮れにさんざめく美しい街と人々の景色は、最初に読んだ時から心がときめいた。
H.G.ウェルズの「塀についたドア」(白壁の緑の扉」)にも似た、現実にはない別の世界への憧憬である。
ただ、自分の読み方はこの詩の本来のテーマからは離れているのかもしれない。
第2連は、この詩の流れの中で異質な気がするが、
- 1連 素朴な人と人との共感
- 2連 美しいものへの憧れと共感
- 3連 時代を見つめる共感の眼差し
というような組み立てであれば理解できそうな気がする。
冒頭の絵は第2連から連想したイメージだが、もっと明るい、爽やかで心が浮き立つ感じを描きたかった…想像力と描写力が乏しいのでうまく描けない😢。
詩に戻ると、6月は雨のイメージが強いが、この詩で謳われている「六月」は、梅雨の日本ではない、すがすがしく不思議な爽やかさや憧憬が溢れる季節のように感じられる。それが何だかとても不思議だ。