夢の記憶を呼び起こすのは意識・無意識の片鱗に触れるという意味はあるのだろうが、著しく変わった内容でなければパターンが決まっているので近頃はあまり考えなくなった。
昨夜の夢の最後は寮を去るお別れ会のようなことをしていて、Nなどと語り合っているのだが、皆が告白めいたことを言っているので自分も教え子について感動的なセリフを口にしているのだが、実は半分は嘘だと知っている。
食い散らかしたテーブルをみて、今日ここを引き上げなければならないのでこれからの準備が大変だとうんざりしているが、他の人が明日ゆっくり引き揚げると言うので自分もそうしようと思い安心した。
明日はグループ別の行動になるが、自分の引率するグループは海で泳ぎ自分も水の中に入るらしいので少し興奮している。水に入るのはなにか性的なイメージである。そんな内容の夢だ。
お別れ会とか寮を引き上げる夢はよく見る。多分20代中頃に某所で送った満足感、高揚感のある生活の記憶からなのだが、考えるとあの頃が人生で最良の一年だった。
あれがピークで残りの人生は低位安定あるいは下降だとしたらいかにも切ない。これではよく小説に出てくる、過去の栄光に囚われ、無為の日々を過ごすダメ男そのものではないか。
「それなりの理由があるよ、それなりに努力はしてきたよ」と自分を慰めてももやもやは消えない。
なぜあの一年はあんなにも輝いていたのだろうかと思う。多分肯定感と自信に満ち思うがままに行動できたこと、そうさせてくれる仲間と環境があったことだろう。
ではそうしたことを今取り戻すことは出来ないか、どうしたら取り戻せるか。夢から覚めてそんな事を考えていた。
パティ・ペイジ「テネシーワルツ」を聴きながら