秋は、夕ぐれ。夕日のさして、山のはいと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ、三つなど、飛びいそぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
(現代語訳)
「秋は夕暮れが良い。
夕日が赤々と映えて、山の稜線にぐっと近づいたころに、烏(からす)が、巣に帰ろうとして、三羽四羽、二羽、三羽と、飛び急いでいる様子までも、心がひかれる。
まして、雁などが列をつくって飛んでいる様子が、とても小さく見えるのは、たいそう趣がある。
日が沈んでしまって、聞こえてくる風の音や、虫の音なども、また言うまでもない。」
秋の夕暮れのもの悲しさと、反面それを愛でる心は今も昔も変わらないようだ。夏の熱狂への反動や日増しに日が短くなることへの感傷なのだろうか。
夕焼けに飛ぶ鳥も身近なカラスなら淋しいなりに愛嬌があるが、空高く飛ぶ渡り鳥であれば少し冷たい孤独の寂しさになるのが面白い。
茜空にしても、紅葉にしても、去り際の一瞬の煌めきが如何にも秋である。
そして日の落ちた後の静かさも。
日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。(再掲)