奈良の長谷寺のこと
関西地方に1年ほど勤務していたことがあり、休みの日には西国三十三所観音巡礼札所の寺を始め、多くの神社仏閣を巡る機会を得た。中でも奈良の長谷寺は、門前町や寺の独特の風情が好きで何回か訪れた。
御影(おみえ)
最寄りの駅は近鉄線の長谷寺駅(ずっと「初瀬駅」だと思っていた)。数軒の店があるだけの鄙びた駅前から古い階段を下り、左に曲がって初瀬※(はせ)の信号と大和川を渡ると、門前町(旧初瀬街道)に入る。
※古くは初瀬(はつせ)と言われた。その響きが好きだ。
そこは人通りが少ない、昭和30〜40年代の雰囲気が漂う古びた通りで、電気屋、菓子屋、雑貨屋、旅館などがあっただろうか。
当時、自分は「日本人と御詠歌」というような題名の本を読んでいて、その中に、著者が幼い頃初瀬の町に住み、お盆になると御詠歌や鐘の音が聞こえた、という記述があった。その影響もあったのか、この町には非常に懐かしさを感じた。
(参考)西国三十三所第八番長谷寺(初瀬寺)の御詠歌
「いくたびも 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山もちかひも 深き谷川」
しばらく歩くと西国三十三所番外札所「法起院」の辺りで道は左に折れ、「柿の葉すし」などが並ぶ土産物屋や食堂が見えるとそこはもう長谷寺の門前になる。
門前は観光地の喧騒で落ち着かないが、総門を潜ってつづら折りの登廊に連なる柱や灯籠を見上げると、毎回長谷寺に来たという実感が湧くのである。
登廊を登りたどり着いた広場は案外狭いが、十一面観音の鎮座する本堂はすぐ目の前にある。入り口から暗い階段を下り右に観音様を見て通路を歩いた記憶があるが、これも定かではない。
御本尊十一面観世音菩薩の存在感
本堂は国宝で、大きく突き出した舞台から望む境内や門前の山々の景色は、四季折々にみずみずしい。だが何より心躍ったのは、本堂に顔だけ覗かせる巨大な本尊十一面観世音菩薩の圧倒的な存在感と、舞台から本堂の垂れ幕越しに垣間見えるお顔だった。
この十一面観世音菩薩立像は身の丈10メートル以上で撮影が難しいからか、公開されている写真は少ない。
それでも大好きな観音様を線画で写したいと思い、お寺のホームページの写真を参考にさせていただいたが、輪郭がうまく捉えられず見にくくなってしまった。ご容赦ください。
至福の時間
何回かの長谷寺詣でで一番印象に残っているのは、最後に訪れた夏のお盆の頃、帰りの時間にはもうあたりが暗くなり、灯りが少ない駅の暗闇の中、夏の草木の草いきれと虫の声が聞こえるだけのホームで電車を待っていた時間だ。先ほど挙げた御詠歌の本の影響もあるのだろうが、疲れた体を包んだ、静寂で何もないあの夏の夜のひとときは確かな至福の時間だったと思う。
⇩ この本だったかも知れません
最初に長谷寺を訪れたのは多分高校の修学旅行の時。独特の雰囲気が気に入って大人になってから旅行で数回立ち寄り、最後に拝観したのが冒頭に書いた時期だから、もう20数年前のことになる。
同時に彫られたと伝わる十一面観音像が鎮座する鎌倉の長谷寺にも時々お参りするが、寺と仏様の風格は奈良にはおよばない。
奈良、初瀬の長谷寺。もう一度訪ねたい寺だが、美化された記憶が壊れるのが怖くて半分行きたくない気もするのである。
⇩ 以前にも同じようなことを書いていました😁