感想
八木重吉の詩をどういうきっかけで知ったかはっきり覚えていないが、学生時代、何かの本で「皎々とのぼつてゆきたい」の詩を読み、関心を持ったのだと思う。そして「定本八木重吉詩集」を買い、他の詩も知った。
皎々とのぼつてゆきたい
それが ことによくすみわたつた日であるならば
そして君のこころが あまりにもつよく
説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら
君は この阪路(さかみち)をいつまでものぼりつめて
あの丘よりも もつともつとたかく
皎々と のぼつてゆきたいとは おもわないか
(「秋の瞳」より)
自分がこの詩に抱いたのは、坂道の向こうにある何かへの憧憬だった。そこには異性への憧れもあったろう。詩集を読んでみて、信仰への強い思いを詠った詩だと知ったが、当初抱いたイメージは今でも変わらない。
ちなみに、同じ頃荒井由実の「ひこうき雲」が発売されたが、「長い坂道が空まで続いていた」の歌詞にも自分は同様なイメージを持った。きっと坂道とその向こうの空の風景が好きなのですね。
中高生時代、自分はたびたび熱を出すことがあり、何故体が弱いのかと悶々としたことがある。そんな中、この詩集を読んで、若くして結核で死んだこの詩人に自分を重ねていた気もする。
八木重吉の詩は、瑞々しい感受性と、清らかで壊れそうな純粋な心で溢れていて、こんなにも裸の心を綴った詩があるのだと驚き、共感した。
だから、八木重吉の詩集は、今「青春」の中で悩んでいる人にこそふさわしい。是非読んで欲しいと思う。
自分の好みで選んで恐縮だが、いくつかの詩を紹介したい。
「秋の瞳」より
フヱアリの 国
夕ぐれ
夏のしげみを ゆくひとこそ
しづかなる しげみのはるかなる奥に フヱアリの 国をかんずる
無造作な 雲
無造作な くも、
あのくものあたりへ 死にたい
かなしみ
このかなしみを
ひとつに 統(す)ぶる 力(ちから)はないか
夜の薔薇(そうび)
ああ
はるか
よるの
薔薇
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
白い 雲
秋の いちじるしさは
空の 碧(みどり)を つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ
柳も かるく
やなぎも かるく
春も かるく
赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
青い 山車には 青い児がついて
柳もかるく
はるもかるく
けふの まつりは 花のようだ
「貧しき信徒」より
涙
つまらないから
あかるい陽(ひ)のなかにたってなみだを
ながしていた
悲しみ
かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
ひかる人
私(わたし)をぬぐうてしまい
そこのとこへひかるような人をたたせたい
素朴(そぼく)な琴(こと)
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう
いかがでしたか。興味を持ったら、ぜひ詩集を開いてみてください!
青空文庫「貧しき信徒」⇒八木重吉 貧しき信徒
八木重吉の詩をおすすめしたい人
- 生身の詩を読みたい人
- 若くて病弱で悩んでいる人
- 清らかで優しい詩が好きな人
八木重吉について
八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年-1927年)は、日本の詩人、英語科教師。生前に刊行した詩集は1冊のみで昭和初期に若くして病没したが、死去から約20年が経過した太平洋戦争後にクリスチャン詩人としての評価が高まった。
主な作品
著者、主な作品はフリーの百科事典「Wikipedia」 八木重吉 - Wikipedia を参考にした。