あらすじ
主人公の洋画家が、九州の山奥の宿で出会った出戻りの美しい「若奥様」那美や地域の人との交流を描いた作品。女主人は周りから気が触れていると言われるほどエキセントリックな行動を取る女性だが、主人公は「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」と考える。那美から自分の画を描いてほしいと頼まれるが、彼女には足りないところがあると言って描かない。しかし日露戦争に出征する従兄弟を見送りに行った時、同じ列車に乗り合わせ去っていく元夫を見る表情を見て、初めて絵が描けると言う。
目次
章立ては一~十三
感想
文豪夏目漱石の「草枕」。夏目漱石の作品は「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」や冒頭に掲げた「漱石大全」の初期の「草枕」のころまでの作品を読んだ程度です。漱石に詳しい人はおかしなことを書いていると思われるでしょうが、ご容赦ください。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。(作品より引用。以下同じ)
というところは私もよく知ってました。
ただ内容については全く知識がなく、なんとなくこの言葉のようなことを山で考えてはみるが、街に帰ってからいろいろと俗世間の人間関係の難しさ、切なさを思い知らされる物語、漠然とそんなイメージを持っていました。
読んでみると全然違った。内容は九州の山奥の那古井という旅館に泊まった時の体験、そこで出会った不思議な女性とのやり取りや、地域の人々の交流、画家としての考えなどを描いた作品だったのですな。
作品の中で一番印象に残ってるのは、やはり、土地の人がちょっと気が触れているとか、あの家は代々気違いが出ると言われている出戻りの若奥様のこと。行動がかなり個性的と言うか、もしかしたら性格異常、精神障害かもしれない女性の言動。
当時にしては物事をはっきり言う、理屈を話す、世間体常識を気にしない、今で言えばエキセントリックな気の強い女性です。
この辟易すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔りに立つ、体を斜めに捩って、後目に余が驚愕と狼狽を心地よげに眺めている女を、もっとも適当に叙すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日に至るまで未だかつて、かかる表情を見た事がない。
宿に泊まった夜中に、歌を歌ったり、主人公の部屋に入ってきて箪笥からなにか出していったり、きれいな着物を着て廊下を何度の行き来してみたり、不気味な女性ですが、男女関係になるとかではなく、その所作が素晴らしいと感心したりするところはさすが画家です。
余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰れが見ても、誰に聞かしても饒に詩趣を帯びている。——孤村の温泉、——春宵の花影、——月前の低誦、——朧夜の姿——どれもこれも芸術家の好題目である
主人公は何かが不足していたためこの女性の絵を描けなかったのが、最後には描くことができるというのが結末ですが、この小説で一番印象に残ったのは、この女性や風景などの描写の素晴らしさです。画家が主人公というのもそういう趣旨だと思います。
暮れんとする春の色の、嬋媛として、しばらくは冥邈の戸口をまぼろしに彩どる中に、眼も醒むるほどの帯地は金襴か。
漲ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。
木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥床しくも自らを卑下している。余は石甃の上に立って、このおとなしい花が累々とどこまでも空裏に蔓る様を見上げて、しばらく茫然としていた。眼に落つるのは花ばかりである。
三丁ほど上ると、向うに白壁の一構が見える。蜜柑のなかの住居だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻をした娘が上ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛が出る。脛が出切ったら、藁草履になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負ている。
漱石の解説書でも読まないと本当のところは分からないのですが、おそらく漱石がこの作品で描きたかったのはこうした絵画的な描写と、文学・絵画などの芸術論だったのではないかと。そんな気がします。
最後に出征する若奥様の従兄弟の話が出て来ますが、当時の時代背景も垣間見えます。若奥様は「死んで帰って来い」と言いましたが当時はこんな感じだったのかな。
日露戦争が始まっていて、日本ではないけれど身近な人が満洲に戦いにいき命を奪われるかもしれないと言う現実が垣間見えました。
朔北の曠野を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸る時が来るかも知れない。この青年の腰に吊る長き剣の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。
夏目漱石にはこの他にもたくさんの名作があるのでできるだけ読んでみようと思います。
この作品をおすすめする人
著者について
夏目漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。
江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めたあと、イギリスへ留学。帰国後は東京帝国大学講師として英文学を講じ、講義録には『文学論』がある。
講師の傍ら『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』などを書く。その後朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となった。
主な作品
- 『吾輩は猫である』(1905年)
- 『坊っちゃん』(1906年)
- 『草枕』(1906年)
- 『三四郎』(1908年)
- 『それから』(1910年)
- 『門』(1911年)
- 『彼岸過迄』(1912年)
- 『行人』(1914年)
- 『こゝろ』(1914年)
- 『明暗』(1916年)
著者・主な作品 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
夏目漱石 大全: 漱石の全作品を一冊で! 夏目漱石年代別作品集 (M-Y-M Red Book)
夢十夜・草枕 (集英社文庫)