keepr’s diary(本&モノ&くらし)

ネット、読書、音楽、散歩、最近はイラストが趣味のおじさんです。趣味、商品、暮らしの疑問、感想を思いつくまま綴ります。

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【コラム】桜の短歌 5首 

 

地元では今日が桜満開。明日の雨で散り始めるかも。

 

さて、「秋の夕暮れ」を歌った短歌は「三夕(さんせき)」が有名だが、桜にはそういうものはないようだ。


全くの素人だが自分の好きな歌を五つ選んでみた。


ねがわくは~

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ねがはくは花の下にて春死なむ

そのきさらぎのもち月のころ

西行法師)


旧暦のきさらぎ(2月)は現在の3月だから、「できるなら3月の満月の頃桜の花の下で死にたい」という内容の歌。

法師のくせに我執に囚われている😂…とも言えるが、桜を交えた死生観は美しい。

 

望月というと桜月夜を連想するが、その趣旨ではないようだ。当時は月の満ち欠けを基準とする暦なので、旧暦の「きさらぎもち月」は2月15日で釈迦のなくなった日。

 

ちょうど桜が咲く頃だ。うららかな春の日差しと桜の花の下でこの世を去りたいという心情には共感する。


そう願ってもなかなか実現しそうもないが、西行法師は現実にそういう時期に亡くなっているようだ。

 

清水へ~

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清水へ祇園をよぎる桜月夜

こよひ逢ふ人みなうつくしき

与謝野晶子


与謝野晶子が22歳で書いた歌集「みだれ髪」より。


打って変わって、こちらは生きる楽しさと美しさに満ちた歌。


「清水に行こうと祇園を通ると、桜が月の光に映えている。今夜行き交う人はみなときめいているようで美しい」という内容で桜月夜のときめきと高揚感が溢れている。


人々の顔がときめいて見えるのは、桜と月の光だけでなく、作者自身が与謝野鉄幹との恋に高揚しているからなのだろう。

 

桜色の~

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桜色の庭の春風あともなし

問はばぞ人の雪とだに見む

藤原定家


「桜の花びらで庭を桜色に変えた春風はもう止んでいる。(花びらの色が褪せて、)もし訪れる人があれば雪にみえるだろう(訪れる人もいないので足跡もない)」。


「あともなし」は「庭の春風」とだけでなく「問はばぞ人」とそこから連想される足跡やみずみずしい花びら色にもかかるという解釈を採った。


さらに花びらが朽ちる様を含んでいるとの解釈もあるようだ。


既に散った満開の桜や鮮やかだった花びらの色、花びらの上の足跡も想像させる。三夕の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」の歌に似て、想像力を掻き立てる(難解で少し疲れるが)。


藤原定家が得意とした新古今調の技巧で、この歌自体は評価が分かれるようだが、こうした技法、自分は嫌いではない。

 

敷島の~

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敷島の大和心を人問はば

朝日ににほふ山ざくら花

本居宣長


「大和心」という言葉から「桜のようにさっと咲いているのが武士道」、「皇国史観」「軍国主義」のようなイメージを持たれるかもしれないが、本来は異なるもののようだ。


「敷島」は「大和心」の枕詞で意味はない。「大和心」とは当時の外来思想である「漢意(からごころ)」、つまり儒教などの中国思想や理屈っぽい考え方に対して、日本の伝統的な感性、考え方のことを言う。


まとめると「大和心が何かと聞かれたら、自分は朝日に映えて輝く山桜のように清らかで素直な美しい心だと答えよう」という意味のようだ。


大和心には、素直さ、清らかさ、優しさ、柔軟で道理に沿った考え方、日本人らしい自然ですなおな心という意味があるようだが、山桜に例えたのはその中でも清らかさ、素直さ、美しさを言いたかったのではないか。

 

ひさかたの~

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ひさかたの光のどけき春の日に

静心(しづごころ)なく花の散るらむ

紀友則


「こんなに日の光がのどかな春の日なのに、桜の花は落ち着きなく、慌ただしく散っていく…。」


古今集の名歌で国語の授業で習った気がする。


桜の花の散る寂しさ、花のいのちの儚さを歌った歌や、逆に儚いからこそ美しいのだという歌は数多くあり、日本の伝統的な美意識を感じる。


「ひさかたの」は日の光の枕詞。春ののどかな陽の光の印象が先立つので、花が散る侘しさがより際立つ。

 

ソメイヨシノと山桜

ここで取り上げた短歌の「さくら」は主に山桜だろう。


なぜなら、現在日本で代表的な桜のソメイヨシノは江戸末期に人工的に作られたからだ。


山桜は、山野にも自生し、木肌は光沢があり赤っぽい。花自体はソメイヨシノよりやや白っぽいが、花と同時に(赤い)葉が出るため、遠くで見ると赤っぽく見える。


また、ソメイヨシノと比べると花の数は少なく、木ごとに開花時期が異なるので、クローン樹のソメイヨシノのように全ての木の花が一斉に散るということはないらしい。


だから、厳密に言うと、現在の代表的な桜、ソメイヨシノのイメージはそのまま昔の短歌に当てはまらない。


だが、開花時期が短いのはいずれも同じで、「サクラ」であることには変わりはないので、あまり気にしなくて良いのだろうと思う。

 

 

以上、専門家ではないので誤りがあればご容赦を。


五七五七七の独自の韻律と、遥かな時を超えて感情を共感できる短歌はかけがえがない。


美しい日本語を大切にしなければと思う。

 


ザ・ベスト 桜ソング ~instrumental~

 


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