少し重い話を。
昨年12月の大阪北新地クリニック放火殺人事件に引き続き、今年は1月から2月にかけてのコロナ第6波急拡大、2月のあずみ野医師逆恨み殺人事件、2月の北京冬季オリンピック直後から現在も続くロシアのウクライナ侵略戦争、4月の知床の遊覧船沈没事故、今月の安倍元首相銃撃殺人事件、そして急拡大するコロナ第7波など、事の内容、程度は別にして、不幸な出来事が多い。
そのせいか、昨年の東京オリンピック2020の開会式からちょうど1年経つのに、組織委員会理事の収賄容疑以外誰も触れはしない。
様々な事件、事故に遭遇した関係者の苦痛、苦悩は推察することもできないが、人を襲う不幸には数え切れないほど様々なものがあるのは間違いない。
侵略戦争という途方もない悪事から、非道な犯罪、個人的な病老死苦。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、数限りない。
どれが一番辛いのか。例えば、肉体的、精神的にも圧倒的な脅威であるプーチンロシアの侵略戦争と、今世間を騒がせている宗教団体の精神的な脅威や周囲の生活へのダメージ。
家も生活も肉体も命も何もかも奪われる侵略戦争と比べれば、本人が心を切り替えれば逃れられる宗教の脅威は低いようにも見える。例えば前者がMAXのレベル10だったら後者がレベル5だとか。或いは苦痛を伴う不治の病がレベル8だとか。
いやいや、やはりおかしい。不幸を類型化したり、レベルで図ろうとすることは間違いなのだ。だって、人にとって受け止め方が異なるし、できごとは人それぞれに唯一無二のものなのだから。だから不幸にレベルなどないのだ。
ただし、客観的に見て最大レベルの不幸をもたらしたロシアプーチンが、核の脅迫で、未だに傍若無人、やりたい放題に振舞っている現実はどうしても腑に落ちない。
不幸のレベルはないにしても、多分、世界の不幸の強さは1段階高まっているのだろう。
祈るしかないのがもどかしい。