昨年11月に、深夜東京都内のバス停で座っていた60代の女性が、近くに住む引きこもりの中年男に、ペットボトルを入れたコンビニ袋で頭を殴られ亡くなった事件があった。
邪魔だったからという動機もさることながら、この女性が事件の少し前までスーパーの試食品販売の仕事をしており、コロナ禍で仕事を失い、バス停で毎日座ったまま寝ていたという報道に、なんともやり切れない思いをしたのは自分だけではないだろう。
この事件が悲しいのは、
- 引きこもり、失業という社会的弱者同士の事件
- ある意味コロナ禍の犠牲者
- 近所の人がいつも見かけていたが声をかける人がいなかった
- 11月というもう寒い時期に毎日バス停で座って睡眠をとっていた
などのせいだろうが、結局、苦しい環境の中、恐らく社会保障制度というものも知りつつ、なお一生懸命自分の力で生きようとしていた人が、偶然の事件により命を絶たれてしまったことなのだろう。
本当に悲しい偶然だと思う。
たまたま近所に精神的に歪んだ人間がいて、たまたま同じ時、空間に存在してしまったということなのだろう。
記事では、この事件のその後の詳報として、被害にあった方は若い頃に劇団に所属するなど明るい性格の人で、夫のDV、離婚などを経ても前向きに暮らしていたこと、事件の後弟さんに引き取られたこと、学生時代に仲が良かった人の想いなどが取材されている。
この方には懸命に生きた人生があり、かけがえのない思いがあったろう。
運命のイタズラとしか言いようがないのだが、生きることの不条理さ、非常さになんとも言いようがない事件だった。
さらに言えば、自分もいつ被害者、加害者になってしまうかもしれないな、と思ったりもするのだ。
ご冥福をお祈りします。