この度のこと謹んでお悔やみ申し上げます。ご家族や関係者のみなさまのご心痛いかばかりかと思います。
ところで、この事件の報道については何か最初から違和感がありました。
また時間が経過して感じたこともあります。それを、取り留めなくて申し訳ありませんが、綴ります。
最初の違和感
最初の違和感はまず報道内容とそれに対する反応。亡くなったこと、ネットでテラスハウスでの言動を批判する書き込みが多数あったことなどが、書かれていました。
そして、Twitterではすぐに誹謗中傷がいけない、書き込みをした人のアカウントが削除されていることなどの「誹謗中傷」批判が始まりました。
なにか、「誹謗中傷」批判の合唱で、先日の検察庁法案に対するツイートに匹敵するような感じ。
でも、以前テラスハウスを見たことがあり、非常に不快な気持ちになったことがあるので、何があったんだろう、もちろん「殺す」とかのコメントはだめですが、この番組に対しては多少の批判めいたコメントは仕方ないのかなと思いました。
それと報道では、ただ「テラスハウスに出演していた女子プロレスラーが亡くなった、多くの批判が寄せられていた。」とだけの内容の記事なのに、すぐに「誹謗中傷」は許せないとのコメントが多数上がっていたのも不気味。
自分であれば、テラスハウスでどんな言動があって、どんな批判がされていたのか、それがわからないとコメントしようもありません。
番組の内容を見て
YouTubeに問題のシーンの内容が上がってので見てみました。男性が怒られていました。試合で使うコスチュームが入っていた洗濯機を男性が勝手に使ってしまったことを怒っているようでした。
いままでの内容を見ていないので、どちらが悪いのかどの程度悪いのかはわかりません。ただ見ていて正直いい気持ちはしませんでした。すみません。
ただこのような不快な場面含めて好きな人は見るのでしょうし、それが製作者の狙いなのかも。
不快に感じたらそれをSNSでコメントする人はいると思います。この場面を自分のリアルな生活と重ね合わせて。
その時過激な言葉でコメントした人がいたのでしょうね。それも多数。あるいは攻撃的でなくても、「嫌い」「不愉快」「もう見たくない」などの言葉。
でも受け取る方から見れば、批判され続ければ、神経過敏になるので、小さな言葉もより大きく響いてしまう。小さな言葉もまとまると大きなパワーになってしまいます。
だから、この事件で「誹謗中傷」と一言でくくるのは間違い。中には普段から「死ね」だの「消えろ」だの使う輩もいて、そうした人は猛反省が必要ですが、そこまでいかない微妙な不快の気持ちの表示もあるでしょう。そうしたものをひとくくりで「誹謗中傷」とくくって批判するのは、何か違和感があります。
国の規制が不安
この事件の後、高市総務大臣や、自民党の三原じゅん子議員がネット、SNSでの「誹謗中傷」について、検討する旨の動きがあります。
ずいぶん早い動きで、コロナ対策の不備や、給付金、マイナンバーカード、黒川検事長を巡る検察庁定年延長問題などについての後手後手の対応に比べて、守るのは嫌だが、攻めるのは得意といった感じがして、こちらも微妙です。
上述のように、一言で「誹謗中傷」とくくれないし、その中でどういう言動を規制するのかは非常に難しい。監視社会で一人一人の投稿者が縛られるのも怖い。
一つ一つの投稿を規制するというより、まとまった場合を何らかの方法で対応するしかない気がします。
高石大臣も三原議員も女性の立場から同性の若い人が傷つけられたと憤っているのかもしれません。そうでなければいいのですが、政治家はもっと広い視野が必要だとは思いますが。
テラスハウスの罪
報道によるとこの番組を制作するチームに姉御といわれる力を持った人がいて、制作サイドは視聴率のためにより過激な内容を追及していたようです。
ある意味やらせの部分もあり、出演者の言動もその中のことでしょう。
だとすれば、今回の事件で一番反省すべきは制作サイド。
本日のニュースでフジテレビは放送を打ち切るとのこと。当然だと思います。
しかし Netflixは継続するようです。これは信じられません。アメリカ人の感覚はこんなものなのでしょうか。
欧米でも同種の番組があり、そこでも今回と同様の事件が10件ほどあるとものこと。韓国にもあると聞きます。
最近日本人が他人に厳しくなっているとの意見がありますが、世界中のネット社会全般
のことなのでしょう。
長くなってしまいました。すみません。
追記
東スポにこんな記事載っていました。東スポだからかける記事かもしれません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df22b27a3184e3d9e126ee5c7a6f2666d7e72192