窮屈な社会
あ~あ、ポリコレ、フェミニズム、ジェンダー論が幅を利かせる窮屈な世の中だな〜。
「マイノリティ」「多様性」「ハラスメント」という言葉が人の言動を批判して使われ、「人権」「差別」の使われ方も昔と比べやたらと広くなっている。
ご承知のとおり、これらは欧米の「リベラル」、米国で言えば民主党あたりを支持する人々や団体の運動から来ているが、自分がかつてケネディ大統領などに抱いていた「リベラル」=穏健な自由主義というイメージからずいぶんと変わった。
社会主義が崩壊してもポリコレが活発な理由
1980年代終〜1990年代初にかけて東欧社会主義国やソ連の体制が崩壊。社会主義が挫折して左翼運動が大きな打撃を受けたのに、左翼的なポリコレ、フェミニズムがなぜ世界中で盛んになったのか、自分にとって大きな疑問だった。
ネットや本を調べてもどうもよくわからないので、その時代に暮らした自分の体感も踏まえて考えてみた。
世の中には常に保守的な人と革新的な人がいる。
社会主義国家の崩壊以前は革新的な人の多くが社会主義、共産主義を信奉していて、運動の目標は社会主義国家(平和的、暴力的を問わず)だった。もちろん当時も人権運動、言葉狩り、環境運動は存在したが、主流は社会主義運動、労働運動だった。
ところが社会主義の失墜により行き場を失った革新的な人たちの多くが体制批判の選択肢として残された人権運動に向かうようになった。
こうした人たちがかつて対立していたリベラルの中に流れ込んたことにより、リベラルが「文化大革命」のような独善的な方向に変質したということではないか。
リベラルの先鋭化の行方
現在の「リベラル」は、多くの人の体感に合わない極端なポリコレ、男女の生物学的差異を軽視するジェンダー論、独善的な見方で歴史を否定するキャンセルカルチャー、必ずしも当事者の意思とは思えないLGBT運動など時代がたつにつれて先鋭化している。
かつての社会主義運動は、善悪は別にして「社会主義〜共産主義国家の建設」という目標がはっきりしていたが、今のリベラルは何を目標にしているのかわからない。
何でも男女同数にしろとか意味がわからないし、LGBTにしても突き進めるとSM、小児愛…そしてとても書けないような性癖まで認めろと言い出しかねず、それは社会・文化の破壊、伝統破壊そのものだ。無政府主義者のように伝統や文化の破壊自体が目標になっているのかもしれない。
保守には金持ちで今の暮らしを壊したくない人もいるし、貧乏でも伝統文化を守りたい人もいる。
同じように、革新にも人間の平等という高邁な理想を目指す人もいるだろうし、単に現状に不満で社会に被害者意識を持ち、何もかも壊したい人もいるだろう。
たが、昔から言われているよう現実を見ない理想主義ほど怖いものはないし、自分の不満のために人にあたり散らされるのもたまらない。
SNSの普及のせいもあるが、そんな人たちに日本の平穏な生活、伝統文化を破壊されるのはとてもイヤである。いつまでこんなことが続くのだろうか。
⇩ ポリコレについて書かれたわかりやすい内容の本です。