keepr’s diary(本&モノ&くらし)

ネット、読書、音楽、散歩、最近はイラストが趣味のおじさんです。趣味、商品、暮らしの疑問、感想を思いつくまま綴ります。

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【コラム】ラーメン小記

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先日、生家の近くの中華料理店の前を通りかかり、未だ店舗が現存していることに驚いた。大人になり、この店の前を通り過ぎるのは10回は超えるはずだが、通りかかるたび店が残っていることに感嘆するのだ。幼少期から既に60年以上、さすがに今は営業していないが、少年時代に祖母に連れられていった外観は変わっていない。

 

祖母はラーメンが好きで子供の頃よく連れて行ってもらった。「国際通り」という商店街の国道1号線を渡った先にあった店は何という名前だったか。中華というより今で言う中華そば屋に近かった気がする。

 

冒頭に書いた店「Rリン」や、少し足を伸ばした「T ロント」は中華料理の店で、「Rリン」は八角の香りが強い叉焼(チャーシュー)が入っていた記憶がある。


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当時(昭和30年代〜40年代初め)はラーメンにはナルト、支那竹、叉海苔とフチの赤い叉焼が入っていた。場合によってはほうれん草も入っていたかも知れない。

 

スープは醤油のみで、だしは鶏ガラなどだったのだろう。あまり塩分は気にしない時代だったから、かなり色の濃いスープだったと思う。

 

割と便利な町中に住んでいたので出前を取ることも多かった。親戚にラーメン好きなおばさんがいて、来ると「ラーメンでも取るか」と言って、ラーメンの出前を頼むことがあった。そうでなくても、当時は家族の食事でラーメンの出前を頼むことも多かった。決して裕福ではなかったのに。今考えると不思議だ。

 

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出前では、近くにあり、同じ小学校の男の子がいた「Mナト」というラーメン屋からよく取っていたが、同じ商店街の甘味屋「M政屋」でラーメンを作り出してからは、スープの味が濃くちぢれ麺の味わいの良いそちらの店に変わってしまった。そう言えばこの店にも同じ小学校に通う女の子がいた。

 

少年時代によく食べていたのはこのM政屋のラーメンで、醤油の濃いコクのある味が自分のラーメンの基本の味になった気がする。その後、中学、高校時代頃から流行ったサッポロラーメンチェーン店の「どさん娘」「どさん子」系が登場するまでは、ラーメンについてあまり記憶がない。


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「どさん娘」系にはよく行き、中でも、塩バターラーメンが好きだった。今思えば、カロリー、塩分がものすごかったのだろうが、当時は気にするはずもない。昔ながらのしょうゆのラーメンから、味噌ラーメンやバターの濃厚さに病みつきになり、サッポロラーメンばかり食べていたのではなかろうか。

 

 

とんこつ味の九州ラーメンを初めて食べたのがどこかは覚えていないが、大学の近くに鹿児島ラーメンの店ができて、どんなものかと食べに行き、豚の臭いに当時は辟易したのを覚えている。新宿の「桂花ラーメン」に行ったのはもう少し後だったと思うが、そこは臭みがなく美味かった。「桂花」熊本ラーメンだが、博多ラーメンに馴染み始めたのは多分それからという気がする。

 

 

記憶のあるラーメンについて、思いつくまま、時系列無視で挙げると、会社からの帰りにふと入った、たぶん中野の町外れの「ザボン」はとても小さな店で、映画「半落ち」で出てきた新宿の日本で一番小さなラーメン屋「ザボン」と関係がありそう。背脂トンコツだが案外あっさりした味で何度か通った。通勤帰りといえば「四谷しんみち通り」の入口にあった中華料理屋では、排骨麺をよく食べた。

 

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大量の唐辛子の器が置いてある、しようゆとんこつの吉祥寺「ホープ軒」には、近くに住んでいた頃、家族で何度も食べに行った。小田原の「仲見世通り」にあった小さな店ではスタミナラーメンをよく食べた。

 

同じく小田原の国際通りを入ったところにあった「味の大西」のチャーシューワンタンメン。夫婦喧嘩が有名な店だったが、岩塩の入った醤油スープと三つ葉、チャーシューは今でも食べたくなる味だ。荻窪ラーメンの名店「春木家」のかつおだしの効いた澄んだスープは本当に美味かった。

 

 

最近では大船駅近くの「石狩亭」。中華料理店にそぐわない店名だが、ここのラーメンは良質な水を使った、澄んだしょうゆスープで昔ながらの味わいがある。バーミヤンの「バーミヤンラーメン」も意外と好みで、煮卵の入ったのをよく食べていた。

 

時代は遡り、小田原の「ニチイ」の地下に入っていた「寿がきや」のかつお節スープのラーメンはまた独特の味わいで、ラーメンとは別物かもしれぬが美味かった。フォークと合体したスプーンも懐かしい。名古屋に行った時、駅地下でこの「寿がきや」の店を見つけたときはとてもうれしかった。

 

 

最近は町中に横浜家系ラーメンが多いが、どうも自分の口には合わない。ラーメン二郎もそうなのだが、ボリュームとか満腹感の方に傾き過ぎではないのかな、ラーメン本来の味わいとは全く別の食べ物になってしまった気がしてしまう。


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やはり自分にとってラーメンとは幼少の頃から味わった、昔ながらのラーメン(今「中華そば」と呼んでいるものとも微妙に違う気がする)なのだ。広い意味ではサッポロラーメン、博多ラーメンまで、さらに広げても家系でないトンコツしょうゆラーメンまでが自分にとっての「ラーメン」という気がする。

 

以上、あくまでも個人的感想です。味の好みは人それそれなので、読んで気を悪くしてしまったら、すみません。

 

 

 

 

 

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