keepr’s diary(本&モノ&くらし)

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【コラム】御幸の浜の「大松明(おおたいまつ)と線香まつり」の記憶

小田原市ー小田原デジタルアーカイブー「大松明・線香まつり」より引用

 

先日の記事で子どもの頃の海辺の花火大会のことを書いたが、8月の花火大会と同じ時期に、砂浜に大きな松明(たいまつ)を立てて火を付ける「大松明」(おおたいまつ)と呼ばれる行事があり、夏の暗い砂浜に燃え上がる松明の炎がうっすらと思い浮かぶ。あれはどんな行事だったのだろうか。


松明が何本も立っていたような気もするし、見物に来た人も何かを燃やしていたような記憶もある。花火大会よりは少ないもののかなりの人が見に来ていて、地域の夏の風物詩の一つだった。


気になったので検索すると、いくつかヒットしたので参考にさせていただいた。

 

大松明と線香まつり:小田原デジタルアーカイブ「小田原写真館」 | 小田原市

大松明・線香まつり:小田原デジタルアーカイブ「小田原写真館」 | 小田原市

 

8/12 夕暮れの城址公園~御幸の浜 - 小田原の端々

 

懐かしき大松明: 鴇約苑

 

読ませていただいた内容をまとめると、あの行事は小田原市御幸の浜で行なわれていた「大松明・線香まつり」とされていて、現在は行われていない。終わった時期ははっきりしないが、一旦終了した後、数年間だけ復活していたようだ。そう言えばそんな記憶もある。


「小田原デジタルアーカイブ」には1991年と1992年の写真が掲載されていたが、それらがは継続的に行われていた頃のものなのか、数年復活した頃のものなのかはわからなかった。

何となくだが、西湘バイパスができた1967年以降、砂浜は狭くなったものの花火大会は海上花火大会として続いたが、火が大きく危険な大松明の行事は終わってしまったような気がする。

ただ、小田原市のデジタルミュージアムの歴史年表には、1976年に大松明線香まつり保存会が発足したと書かれているので、その頃までは開催されていたとも思える。

これ以上は市役所や郷土史家の方に聞いてみないと分からないだろう。

 

さて、大松明は高さ15メートルだったようで思っていたより高い。写真に写っている人と比べると相当な高さであることがわかる。


大松明は海で亡くなった人や漁師が獲った魚介類を供養する行事で、毎年8月12日(旧盆の前日)に行われていたようだ。確かにそんな雰囲気だったなあ。

そう言えば、子どもの頃、近所の友だちと大松明を見に行くと言うと両親が少し変な顔をしていたような気がする。

海の遭難者の供養と言うと何となく霊とか怖いものがあるし、今思えば子どもがお祭り気分で見物するものではなかったかもしれない。


写真では大松明は1つのようだが、小さいのが複数あったような気もする。写真でもいくつかの火が見えているが松明なのか焚き上げの炎なのか定かではない。

小田原デジタルアーカイブでは「大松明・線香まつり」とタイトルが就いており、浜に線香を立てる写真もあった。訪れた人が何かを燃やしていた記憶があったが、あれはどうやら線香を立てていたようだ。確かに供養の行事である。


大松明の中で線香でなく何かを燃やしたような気がしていたが、あれはこの行事とは別に、お盆の牛や馬を砂浜で燃やす風習があり、その時の記憶だったような気がする。


どうも記憶の中で色々と混じりあっているようだ。失われた記憶を求めて…でもないか😅

 

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