「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」by伴虚無蔵
「カムカムエヴリバディ」大部屋俳優の伴虚無蔵(松重豊)の言葉である。最初に聞いた時から耳に残っている。
この言葉に引き付けられるのは、「いつ来るともわからぬ機会」という部分である。日々研鑽を重ねて努力しても、それが役立ち報われる機会は必ず来るとは限るまい。機会がいつなのかもわからないし、もしかしたら来ないかも知れない。
それでも鍛錬せよというのである。さらに言えば、鍛錬自体に意味があるということである。「努力は必ず報われる」(by高橋みなみAKB総監督)という言葉に比べて、強い響きはないが、冷静で諦観もあり、現実に即していて押しつけがましさもない。
さて、よく考えると、私たちが鍛錬したり、努力したりする時は何かの目的がある。目的があるから少し辛くても続けようとする。
具体的に言えば、学校や会社、資格の試験に合格するために勉強する、スポーツや武道の上達のために練習する、営業や実務の成績を上げるためにいろいろと覚えて実践する、自己啓発のために学び実践する、等々様々なことがある。
筆記試験などは、努力や労力により一定の成果が得やすいが、スポーツや武道では、いかに努力しようと生まれながらの資質や才能がなければ成果が出ないことも多い。営業成績、コミュニケーション能力、対人能力なども同様だろう。
また、仮に努力により能力がついたとしても、運がなければ成果が出せないこともある。むしろその方が多いのではないか。
結局、いくら努力しても、資質や運が伴わなければ、結果は出ないのが現実だ。そのために悶々とし、あきらめて途中でやめてしまうのは誰でも経験することだろう。
だが、虚無蔵は、そういう現実をも前提に、「日々鍛錬しろ」と言う。目的を達成できる機会は来ないかも知れぬが、万が一そうした機会が来た時に後悔せぬよう、鍛錬を続けろと励ますのだ。(と私は思う。)
目的は達成できないかもしれない。でも努力を続けることで、考えていなかったほかの何かが生まれるかも知れない。あるいは「継続は力なり」という言葉のように、鍛錬を続けたこと自体が人生でも大きな糧になるかも知れない。
日々の鍛錬がそんな意味を持つとしたら、それはそれで何かうれしくなる。
そう考えると、「努力は必ず報われる」という言葉も、報われるのが当初の目的だけでなく、思いがけぬ成果や継続したことの自信など広くとらえてみると、あながち間違いではないとも思えるのである。
⇩努力には方法も大切です