あらすじ
リベラルと保守は対抗関係とみなされてきたが著者は真の保守思想家こそ自由を擁護すべきだと考える。メディアでも積極的に発言する研究者である著者が、自らの軸である保守思想の本質をまとめるとともに、脱原発主張の根源、橋下徹氏への疑義、貧困問題への取り組み方、東日本大震災の教訓など様々な社会問題に切り込んでゆく。
目次
- はじめに
- 序章 「リベラル保守」宣言
- 第一章 保守のエッセンス
- 第二章 脱原発の理由
- 第三章 橋下政治への懐疑
- 第四章 貧困問題とコミュニティ
- 第五章 「大東亜戦争」への違和
- 第六章 東日本大震災の教訓──トポスを取り戻せ
- 第七章 徴兵制反対の理由
- 第八章 保守にとってナショナリズムとは何か
- あとがき
感想
「コンプラ」「〇〇ハラ」「多様性」「ヘイト」などの過剰と思えるアナウンスで、何かと棘があり窮屈な昨今の世相に疑問を感じて、その理由であろうジェンダー論など理想主義的な人権論を批評した書物を読もうとしたが、何故かあまり売られていない。
橋本琴絵氏の「暴走するジェンダーフリー」を見つけて読んでみたが、考え方の一部は共感できものの、少しエキセントリックで内容で半信半疑。ただ、「リベラル=理念・理想主義、保守=伝統・経験主義」と言う記述に納得感があり、リベラル・保守で検索したところこの本がヒットした。
ところで、自分は1960年代後半から70年の学園闘争の時代に少し遅れた世代だが、当時の時代観から自由・革新は「善」と信じて成長した。
1989年のソ連崩壊を目のあたりにし、それまで革新勢力の目指していたマルクス・レーニン主義(共産主義)のイデオロギーが否定され、革新勢力では社会民主主義的な思想が残った。日本で言えば日本社会党が凋落し、社会民主主義の政党に変わっていった。
中国共産党は別ですが(笑)。ただ、もう「共産主義」ではないですね(^_^;)
ところが、不思議なことに、こうした革新勢力、左翼勢力が衰退したのにもかかわらず、彼らが強く主張していたイデオロギー的な(独善的とも言える)人権主義や平等主義は衰えるどころか世界中に浸透していった。
なぜ、この分野だけ、かっての共産主義のようにイデオロギー的、ある意味宗教的な理念が残り発展していったのか、いつも不思議に感じていた。それには個人的な体験もあるがここでは省く。
確認してみると、現在のジェンダー論、多様性などの理想主義的な人権主義は、いわゆる「リベラル」という人たちの強く主張するものであると知った(遅いが…)。自分は、リベラルな民主主義は共産主義や社会主義と対峙するものであり、現状では最善のもの。共産主義のように独善的でなく、「人に考えを押し付けない開かれた思想」という認識だったので、極めて意外だった。
そんな経緯もあり、「リベラル」「保守」について認識を深めたいと本書を読み始めたのである。
本書の内容
本書は正直かなり難しい本である。「第一章 保守のエッセンス」に著者の考える「保守」についての考え方がまとめられているが、エドガンドパーク、福田恆存と言った保守思想の先人の著作を引用した理念的な内容なので、理屈が苦手な人は先に第二章以下の個別のテーマに対する論評を読んでから、第一章を読むことをおすすめする。
読んで自分が理解した範囲でまとめると、
- 保守と対峙する左翼思想は「人間の理性により理想的な社会を作ることができる」と考え、保守は「人間は理性により理想社会を作れるような立派な存在ではなく、歴史や先人の経験知に基づく経験や伝統に基づく判断が重要」と考える。
- 人間は僻み、蔑み、エゴイズムを捨てることができない不完全な生き物であり、知的だけでなく、道徳的にも不完全。このため保守は伝統的な制度や良識だけでなく宗教的な精神(これは筆者独自の考えだろうか)も重視。
- 保守は急進的な改革を否定し、人類が蓄積してきた社会的経験知、慣習や社会に込められた潜在的な英知を重視する。
- 左翼の理想主義に対して、保守は現実主義と言えるが、現実そのままの追認ではなく、経験知、潜在的な英知に基づき判断する(経験主義といったほうが良いか)。
- 保守は社会の進歩ではなく、社会変化や経験知、潜在的な英知に基づく漸進的な改革を行う。
- 保守には異なる意見とのコミュニケーション、議論とNPOや地域団体などの中間的団体の存在が必要。
- 民主主義はその場の雰囲気に左右される「世論」やそれに振り回される「群衆」などによりポピュラリズムや多数者の専制に陥っている。パブリックオピニオンである「輿論」、パブリックマインドを持つ「公衆」を取り戻すことが必要。また、異なる意見、例えば理想と現実を足して2で割る「中庸」ではなく、歴史的な見識に照らして納得できる「中庸」の考え方が必要。
等々。
なかなか難しく、様々な切り口で語られているので咀嚼できていないが、朧げに保守というものの考え方は把握できた。
多少違うかもしれないが、筆者の考える「保守」をまとめると、「人間は理性的にも道徳的にも不完全であるから(性悪説)、理性に基づく理想主義はありえない。このため異なる意見との充分な議論や、先人が積み上げてきた伝統や経験に基づき、斬新的改革を行うのが最善。理想主義を否定し、現実主義、経験主義的な考え方を取る」と言うことではないだろうか。筆者はそれを「リベラル保守」と呼んでいる。
以下、本書から引用してみる。
では、近代保守思想を誘発した「左翼」思想とは、どういったものなのでしょうか。最大公約数的に定義するなら、「人間の理性によって、理想社会を作ることが可能と考える立場」と言えるでしょう。(中略)これは、人間の「完成可能性」に対する信頼を有しているからこそ、出てくる発想なのでしょう。人間は知的にも道徳的にも、努力次第で「完成形」に到達できるという確信が、ヒューマニズムというイデオロギーを基礎として生み出されたのです。(本書より引用。以下同じ)
保守は、このような左翼思想の根本の部分を疑っています。つまり「人間の理性によって理想社会を作ることなど不可能である」と保守思想家は考えるのです。(中略)人間は、どうしても人を妬んだり僻んだりしてしまう生き物です。時に軽率な行動をとり、エゴイズムを捨てることができず、横暴な要素を持っています。
保守は特定の人間によって構想された政治イデオロギーよりも、歴史の風雪に耐えた制度や良識に依拠し、理性を超えた宗教的価値を重視します。前者は人間の「知的不完全性」の認識に依拠し、後者は人間の「道徳的不完全性」に依拠していると言えるでしょう。
保守は「裸の理性」によって構想されたユートピア幻想を否定し、急進的な改革や革命を厳しく批判します。保守は進歩に対する楽観的・希望的な観測などよりも、歴史的に蓄積されてきた社会的経験知を重視し、慣習や社会制度を媒介として伝えられてきた歴史の「潜在的英知」に信頼を置くのです。
そのため、保守は社会変化に応じた漸進的改革を志向します。急進的な革命主義ではなく、現状にしがみつく固執的な反動でもなく、保守はグラジュアル(漸進的)な改革を望みます。(中略)保守が改革に着手するときには、過去を未来に映すという構えが必要になります。保守は、「理性に基づく進歩」ではなく「過去へと遡行する前進」を志向します。
まだまだあるが引用しきれない。
「リベラル」という言葉には、フランス革命などの理念である古典的自由の考え方と、社会的平等を政府の支援通じて実現しようとする近年のリベラルの考え方があることは理解したが、自分の知りたかったこと、なぜ「リベラル」はある意味独善的とも言える人権主義や平等主義に陥ったのかの回答は得られなかった。これについてはもう少し他の本も読んで理解を深めてみたい。
本作品、第1章は少し難しかったが、第2章以降の個別の具体的テーマは納得感があり、保守というものの考え方を知るためには、おすすめしたい本だと思う。
著者について
中島 岳志(なかじま・たけし)、1975年、大阪府生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。専門は南アジア地域研究、近代思想史。2005年、『中村屋のボース』で、大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞を受賞。
京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、’16年3月より東京工業大学教授
著書に『ヒンドゥー・ナショナリズム』『ナショナリズムと宗教』『インドの時代』『パール判事』『朝日平吾の鬱屈』『ガンディーからの〈問い〉』『保守のヒント』『秋葉原事件』など。
(本作品の説明文を参考にした)