keepr’s diary(本&モノ&くらし)

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【Music 私的感想】吉田拓郎「落陽」を聴きながら思った


落陽

曲の概要

作詞:岡本おさみ

作曲:吉田拓郎

発売時期:1973年12月(アルバム『たくろうLIVE'73』より)、シングル盤は1989年9月発売

 

公園で「落陽」を聴く

桜は満開を過ぎたがまだ盛り。桜の花びらのシャワーはこれからだ。
暖かい日が続く4月初め、広い公園で本を読みながら吉田拓郎の「落陽」を聴いた。

 

Amazon Music」では自分の聴いた音楽の傾向を読み取って「My BGM」をかけてくれるが、今日は竹内まりや「駅」、松任谷由実「守ってあげたい」、伊勢正三「22歳の別れ」に続いてこの曲が流れてきた。

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生きていることが悩みなのかもしれないと

「この国ときたら賭けるものなどないさ」


そのフレーズを聴いたときふと思った。この曲の作られた時代にはコロナもエイズすらなく、世界は米ソ冷戦の中で中国はまだ途上国。それでも人は国や世の中に絶望している。

 

もしかしたら人は時代に関係なく「生きていること自体が悩みかもしれない。」と今更だが思ってしまったのだ。

 

1973年

この曲が生まれたのは1973年。「結婚しようよ」や「旅の宿」でメジャーになった吉田拓郎はたぶん絶頂期。作詞は岡本おさみ、「旅の宿」も確かこの人だったな。

どんな時代だったのだろう。昭和48年か。バブルのずっと前。

 

調べると、WBAフライ級チャンピオンの大場政夫が23歳で交通事故で亡くなった。ベトナム戦争の米軍の撤退が終わった。オセロが発売された。日本赤軍のハイジャック事件。ブルースリーの死去。金大中事件。タイでクーデター。第4次中東戦争オイルショック

日本の首相は田中角栄

 

洋楽ではカーペンターズの「シング」「イエスタデイワンスモア」アルバートハモンドの「カリフォルニアの青い空」映画では「ジャッカルの日」「ジョニーは戦場に行った」「ブラザーサンシスタームーン」「燃えよドラゴン」か。

1973年 - Wikipedia を参照

 

なつかしい。若い人には歴史上の話なのだろうが…

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終わりのない夜はないけれど

いつの時代も事件があり悲劇があり、感動もある。

今のこの時代、コロナ、中国、オリンピックが自分の中では大きな世の中の動きなのだが、歴史にはどう書かれるのか。

 

終わりのない夜はないけれど、夜が明け一日が始まればまた夜が来る。
その繰り返しなのだろうと思う。

 

「落陽」は旅で出会った、さいころ賭博で身を持ち崩したやくざなじいさんを懐かしむ歌。いつの時代も世の中からはみ出した人がいて、そういう人も含めて「世の中」。いつの世も悩みなき人はいない。

 

そして、この曲を聴いた頃高校、大学生だった自分ももう、この「じいさん」と同じような年になったのだな。

 

ミュージシャン

吉田拓郎(1946年4月5日 - )は、日本のフォーク歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。鹿児島県出身・広島県育ち。学生時代に音楽活動を始め、1970年にシングル「イメージの詩」アルバム「青春の詩」でレコードデビュー。「結婚しようよ」「旅の宿」などのヒット曲のほか、森進一「襟裳岬かまやつひろし「我が良き友よ」など多くのヒット曲を楽曲提供している。

 

私生活では2度目の妻浅田美代子との離婚を経て、現在の妻は女優森下愛子。2003年に肺がん手術を受け、その後もコンサートを続けていたが、2021年にコンサートは終了するとラジオ番組で発言している。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』吉田拓郎 - Wikipedia

 

 

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