keepr’s diary(本&モノ&くらし)

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【本の感想】堀辰雄「フローラとフォーナ」


堀辰雄大全

 

あらすじ

花が好きなプルーストに関して、社会に対する見方にはフローラ(flora=植物相)とフォーナ(fauna=動物相)があり、プルーストは受動的なフローラであるとの見方を引用して、花が好きな堀もフローラかもしれないとする小品

目次

なし

感想

今読み進めている堀辰雄の年代別の作品集「堀辰雄大全」で、「美しい村の」次に収録されている短編(1933年発表)。小品なのだが、中に書かれている「フローラ」と「フォーナ」の話が面白かったので、取り上げてみた。

堀辰雄が好んで、数編の評論も書いている作家マルセル・プルーストはフランスの作家で、代表作である「失われた時を求めて」は非常に長い小説の例としてもよく取り上げられるが、20世紀の西欧文学を代表する世界的な作家だ。マルセル・プルースト - Wikipedia

 

このプルーストの作品にはが良く出てきて、だからというわけではないが、クルツィウス(ドイツの文学研究家)という人が「作家の社会を見る見方はフローラ(flora=植物相)フォーナ(fauna=動物相)がありプルーストフローラの方だ」と評している。

 

堀はこれを受けて、他の評論家も同じようなことを言っており、プルーストの作品に出てくる人物は花と同じで、羞恥心、自意識がなく、社会に対して受け身の態度をとり、道徳心もないと評している。

人間を植物として見る。決して動物として見ない。(プルウストの小説には決して黒猫も、忠實な犬も出てこない。)花には意識的な意志なんと云ふものがない。そして羞恥がなくて、その生殖器を露出させてゐる。プルウストの小説中の人物も、丁度それと同じである。彼等には、盲目的な意志しかない。自意識なんて云ふものをてんで持ち合はしてゐない。人生に對してあくまで受身な態度をとつてゐる。だから道徳的價値なんか問題にならない。善惡の區別をつけようがない。プルウストはさう云ふものとして人間を見ている。(作品より引用、以下同じ)

 

そして、花を描写するのが好きな自分もフローラかもしれないと軽く結んでいる。

六月の初めこちらへ來たばかりのときは、何處へ行つても野生の躑躅が咲いてゐたり、うすぐらい林の中を歩いてゐると、他の木にからまつて藤の花が思ひがけないところから垂れてゐたりした。そのうち小川に沿つてアカシアが咲き出した。

僕はそんな風に花のことはちつとも知らない。しかし花好きでもあるし、小説の中で花を描くことも好きだ。僕なんかもflora 組かも知れない。

 

読んで面白いと思った。

人生や人に対する態度が「アクティブ(能動的、積極的)」か「パッシブ(受動的、消極的)」かとよく言われ、同じような意味で「動物的」「植物的」ともよく言われる。

 

通常、「植物的」とは受動的なことを表していて、自分もそう思っていたのだが、この説では、それだけでなく、花は生殖器が露出しているので羞恥心がない、主体的な自意識もない道徳心もないと言っている。面白い見方だと思った。

 

この話は作家の描く小説の作中人物に対する評価だと思われ、そのまま人の性格・態度に当てはまるものではないとは思うが、何か自分に当てはまりそうだなと思ってしまった。

 

羞恥心もないとか、道徳心がないというのは、例えば、冷酷なサイコパスに当てはまりそうだが、そういう人は自意識がない、受け身ということはないだろう。

 

自分はどちらかといえば人生に対して受け身の方だが、自意識がないわけでなく、普通の生活をしていて道徳心がないわけではない、また、人並み以上に羞恥心もある。

 

ただ、心の底ではかなり冷酷なところがあるかもしれず、人が恥ずかしいと思うことがそうでもないことがあるので、堀の言っているフローラに当てはまるのかもしれない、とふと思ってしまった。

男のくせに花を見るのも好きだし…

今の時代に限らず、男=フォーナ女=フローラというわけでもないし。

心の奥底は誰にも、自分でもわからないのだから。

 

そんな感想を持ったので、面白いと思い取り上げてみた。

  

 

keepr.hatenablog.com

 

この作品をおすすめしたい人

  • 軽井沢や堀辰雄が好きな人
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著者について

堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日)は、日本の小説家。それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした。フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した[。肺結核を病み、軽井沢に療養することも度々あり、そこを舞台にした作品を多く残した。

主な作品

  • ルウベンスの偽画(1927年)
  • 不器用な天使(1929年)
  • 聖家族(1930年)
  • 燃ゆる頬(1932年)
  • 麦藁帽子(1932年)
  • 美しい村(1933年)
  • 鳥料理(1934年)
  • 物語の女(1934年)
  • 更級日記など(1936年)
  • ヴェランダにて(1936年)
  • 風立ちぬ(1936-1937年)
  • かげろふの日記(1937年)
  • 幼年時代(1938年)
  • 菜穂子(1941年)
  • 曠野(1941年)
  • 花を持てる女(1942年)
  • ふるさとびと(1943年)
  • 大和路・信濃路(1943年)
  • 雪の上の足跡(1946年)

著者・主な作品 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 


風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

 

堀辰雄初期の名作


燃ゆる頬・聖家族 (新潮文庫)

 

大和路と信濃路の旅の感動


大和路・信濃路 (新潮文庫)

 

名作「菜穂子」等3編


菜穂子・楡の家 (新潮文庫)

 

 堀辰雄の152作品をあいうえお順に収録


『堀辰雄全集・152作品⇒1冊』

 

堀辰雄の126作品を時代順に収録。こちらもおすすめです。


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