keepr’s diary(本&モノ&くらし)

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【本の感想】堀辰雄「美しい村」


風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

 

あらすじ

シーズン前の初夏の避暑地軽井沢に1人で滞在している小説家の「私」は、失恋の痛手を抱えながら、小説の構想を練り、村での散策で出会った自然や村人について綴る。「私」は同じく一人で宿に滞在する少女と出会い、親しくなるとともに心の痛手を回復していく。作品はバッハの遁走曲のような音楽的構成を意図しており、プルーストの影響を受けた長めの修飾の多い文体で書かれている。

目次

  • 序曲
  • 美しい村 或は 小遁走曲
  • 暗い道

感想

堀辰雄芥川龍之介とともに日本文学で好きな作家の一人である。この作品は堀辰雄の初・中期の代表作で読むのは数回目になる。今まで読んだ作品では「風立ちぬ」が一番好きだが、この「美しい村」は風立ちぬ」の前奏曲のような作品だ。

全体としてとりとめのない日常を綴っているという印象が強いが、軽井沢の自然の中を散策するという内容が、思索しながらの散歩が好きな自分の感性に合う作品だ。章ごとに雰囲気が変わるところも面白い。

 

「序曲」は、振られた男が振った女友達※1に悔やみ一杯の手紙を出そうしている女々しい話のようにも見えるが、この手紙は出さない前提での話だろう。要はそれほど心に痛手を負っているところから始まる物語だということだ。※1 知人である軽井沢の片山広子(筆名:松村みね子)の娘片山総子(筆名:宗瑛)と言われている。

 

ちなみにこの時堀は29歳(1933年)。手紙は10代の少年が書いたように感じられ、年齢のわりに内容が幼く見えてしまうのは、内容もあるが、言葉・文体(例えば「○○かしら」「○○ですもの」など今では男性が使わない言葉)が今とは違っている影響と考える。

ああ、また、僕はなんだか悲しそうな様子をしてしまった。しかし、僕は本当はそんなに悲しくはないんですよ。だって僕は、あなた方さえ知らないような生の愉悦を、こんな山の中で人知れず味っているんですもの。(作品より引用、以下同じ)

 

「美しい村 或は 小遁走曲」。小遁走曲はフーガのこと。作品の中に書かれているように、堀は作品構成については散歩中に聞いたバッハのト短調のフーガ(小フーガ)から着想を得ている。

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失恋の痛手を背負った青年が、まだ人気(ひとけ)のない初夏の軽井沢の村をさまようという、今考えると少しセンチメンタルすぎる内容にも思え、そういえば明治、大正、昭和初期の小説には働きもせずブラブラしている人の話が結構多いが、とも考えてもしまうが、ある程度生活に余裕のあった作家などだからできたことで、当時の人々の生活水準が今よりも高かったということではないだろう。

散策中目にする別荘、ヴィラの光景や、繰り返し出てくる野ばらの開花の状況など軽井沢の自然や、出会った子供や村人の様子などの描写が鮮明で素晴らしい。ただ数年前歩いた頃の追憶など、正直少し女々しいと感じてしまう部分もある。

 

しかし、堀は1930年に結核で喀血し、1931年には長野県のサナトリウムに入院、そして女友達との別れという事情を考えれば、いろいろ悩み考えてしまうのも無理はないだろう。自分ならかなり落ち込む。

だからこそ自然や風景の移ろいをより深く感じていたのだろさう。この章の西洋的な自然描写はまさに軽井沢という感じだ。

 

或る朝、「また雨らしいな……」と溜息をつきながら私が雨戸を繰ろうとした途端に、その節穴から明るい外光が洩れて来ながら、障子の上にくっきりした小さな楕円形の額縁をつくり、そのなかに数本の落葉松の微細画を逆さまに描いているのを認めると、私は急に胸をはずませながら、出来るだけ早くと思って、そのため反って手間どりながら雨戸を開けた。

 

私は最初のいくつかの野薔薇の茂みを一種の困惑の中にうっかりと見過してしまったことに気がついた。それに気がついた時は、既に私は彼等の発散している、そして雨上りの湿った空気のために一ところに漂いながら散らばらないでいる異常な香りの中に包まれてしまっていた。私は彼等の白い小さな花を見るよりも先に、彼等の発散する香りの方を最初に知ってしまったのだ。

 

ただ、この作品について言われる「バッハの遁走曲のような音楽的構成」というのは、正直よくわからない。というか自分は感性で読む方で、あまり文学技術的に考えては読まないので、流れが少し冗長かなとも思ってしまう。多分、同じ植物、建物、人々が時間の経過ととも変化する様子が繰り返し描かれているのがそういうことなのだろう。

 

「夏」の章になると、作品の雰囲気がガラッと変わる。「向日葵(ひまわり)」のような少女※2が登場するからだ。麦藁帽子をかぶった向日葵のような少女。なんと明るいイメージなのだろう。※2 のちに婚約者となる矢野綾子

突然、私の窓の面している中庭の、とっくにもう花を失っている躑躅の茂みの向うの、別館の窓ぎわに、一輪の向日葵が咲きでもしたかのように、何んだか思いがけないようなものが、まぶしいほど、日にきらきらとかがやき出したように思えた。

私はやっと其処に、黄いろい麦藁帽子をかぶった、背の高い、痩せぎすな、一人の少女が立っているのだということを認めることが出来た。……

「私」はこの向日葵の少女と宿で二人きりで滞在し、やがて親しくなっていく。すると今まで感情移入してきた自然の移り変わりにあまり興味を感じなくなってしまう。

 

そんな風に、私は彼女と暮方近い林のなかを歩きながら、まだ私が彼女を知らなかった頃、一人でそこいらをあてもなく散歩をしていたときは、あんなにも私の愛していた瑞西式のバンガロオだの、美しい灌木だの、羊歯だのを、彼女に指して見せながら、私はなんだか不思議な気がした。それ等のものが今ではもう私には魅力もなんにも無くなってしまっていたからだ。

 

それはそうだろうな、異性との恋愛ほど、まして深まっていく過程の気持ちほど心ときめかせるものはない。二人の様子を見ているとこちらも心ときめいてしまう。

 

作品中に書いてあるが、この頃「私」は「美しい村 或は 小遁走曲」まで書き上げていて、最後に村を去っていく自分の悲しい想いを書いて終わりにしようと思っていたらしいのだが、少女の出現により作品の内容が変わっていくのだ。

 

最後の章「暗い道」は少女と散策をして道に迷って暗くなってしまった時の出来事を書いたもので、短編小説のような感じがして、作品の中では一番好きな部分だ。

最後の部分、暗い坂道で少女が転び、「私」はあまり関係ないことを思い浮かべる結末は何かを暗示しているのか、ただのエピソードなのか、考えたがよくわからなかった。

突然、そのうちの誰かが足を滑らして、「あっ!」と小さく叫んで、坂の中途にどさりと倒れたらしい気配がした。見上げると、その坂の中途にまだ転がっているらしいものがまるで花ざかりの灌木のように見えた。

 

「夏」の章で出会って交際を始める少女は風立ちぬで婚約者として登場するヒロインになる。彼女は結核のため療養所で亡くなり、主人公の堀は悲嘆にくれるのだが、それは後の話。

この作品自体は、女友達との別れの痛手を抱えて軽井沢の村をさまよう青年の自然との触れ合いと心の癒し、新たな恋人の登場により立ち直っていくというハッピーエンドの話だ。

ただ、少女が近い将来結核で亡くなるという悲しい事実を知って読むと、この物語はより輝いて見えるのだろう。

 

2020.11.5追記:堀が作品と同時期に書いていた「手紙(「美しい村」ノオト)」に「美しい村」の創作背景が書いてある。作品を深く味わいたい方にはおすすめです。

 

作品の文体について

この作品はプルーストの影響を受けた長めの修飾の多い文体で書かれているとされているが、プルーストの文体は次のとおり。確かに長く修飾語が多い。だが美しい。

私は、女中がいま莢を剥いだばかりの小豌豆が、テエブルの上に球ころがしの緑色の球のやうに澤山ならんでゐるのを見ようと思つて立ち止つた。しかし私がうつとりしたのはアスパラガスの前だつたのだ、——それはすつかり群青色と薔薇色とに濡れてゐて、その穗先は葵色と空色とにうつすら染まりながら、まだ畑の土のこびりついてゐるその先端に行くにしたがつて漸々に、天上の虹のやうに暈かされてしまつてゐた。(堀辰雄「プルウストの文體について」より引用)

 

もう一つ、この作品の文体が少しとっつきにくく感じるのは、時代による文体の変化が大きいのではないかと思う。

自分が少し違和感があるのは、一人称の小説なのに現在では三人称にしか使わない言い回し。例えば、「私は眩しそうに青空を見上げた」「私はつまらなそうに呟いた」など。

こうした表現は堀に限らず、同時代やこれ以前の小説でも見られるが、堀はこうした言い回しが多いように感じる。

 

ほぼ同時代の芥川龍之介谷崎潤一郎志賀直哉などの小説は、今読んでも文体違和感が少ない(少なくとも自分には)のはこうしたところもあるのだと思う。

慣れればあまり気にはならなくなるが、気になるなら一人称を三人称に(「私」を「彼」に)変換してみると違和感がなくなるかもしれない。

 

ご参考:作品の散歩コース

堀辰雄の散歩コース

 『美しい村』の堀の散歩コースをたどると、堀が宿泊していた「つるや旅館」(本町通りの一番奥まったところにある)を基点にして主に4本の道筋がある。

1 「つるや旅館」の北方向にあたる愛宕山へ向かう道 【マップの①②
「つるや旅館」(マップの、以下同じ)から本町通りを少し下り、福音教会の傍の横町から入って行くコース。道の両側は、旧軽井沢でも最も早くに別荘地として開けた場所である。愛宕神社に通ずる参道がある。西洋人たちが “Organ Rocks”と呼んだ天狗岩が見える愛宕山への散歩道。
2 旧碓氷峠への道 【マップの③④
「つるや旅館」から芭蕉の句碑を右に見て、旧中山道の坂を上って行くコース。矢ヶ崎川の渓流に架かる二手橋③を渡ったところで道が二筋に別れ、右手は旧碓氷峠に向かうハイウェイとなる。左手は、堀辰雄が最初に軽井沢に住んだ家があった貯水池に通ずる道である。二手橋から200メートルほど遡った渓流沿いに室生犀星の文学碑④がある。
3 サナトリウムの道 【マップの⑥⑦⑧
軽井沢銀座(本町通り)の中心部にあたる観光会館⑤からテニスコート沿いに東へ進むコース。矢ヶ崎川を越えると、万平ホテル⑥や釜の沢の別荘地帯に入り込んで行く。釜の沢を過ぎるあたりから、矢ヶ崎川の流量が急に減り、おだやかな野の川となっている。この川沿いの林の中に建っているのが、かつてサナトリウムだった「旧軽井沢ヴィラ」である。この川べりの道(「ささやきの小径」⑦)が、堀がサナトリウム・レイン」⑧と呼んでいた道で、アカシアの木がたくさん並んでいる。この元サナトリウムはニール・ゴードン・マンローが院長をしていた病院で、「マンロー病院」とも呼ばれていた。
4 水車の道⑨(Water Wheel Road) 【マップの⑨⑩
軽井沢銀座の裏手にあたる北裏通りのコース。現在、水車はない。もと水車のあった軽井沢聖公会(ショーハウス、ショーハウス記念館)がある。堀が愛した聖パウロカトリック教会から、軽井沢銀座に通ずる教会通りがある。水車跡の近くには、「悲しい別離を余儀なくされた女友達」のヴィラ(元片山広子の別荘)がある。また、この道は、『風立ちぬ』の最終章の舞台ともなっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』美しい村 - Wikipedia

 ⇩ グーグルマップに書き込んでみました。道も変わっているので道順はわかりませんが、位置関係はこんなところだと思います。

 

この作品をおすすめしたい人

著者について

堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日)は、日本の小説家。それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした。フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した[。肺結核を病み、軽井沢に療養することも度々あり、そこを舞台にした作品を多く残した。

主な作品

  • ルウベンスの偽画(1927年)
  • 不器用な天使(1929年)
  • 聖家族(1930年)
  • 燃ゆる頬(1932年)
  • 麦藁帽子(1932年)
  • 美しい村(1933年)
  • 鳥料理(1934年)
  • 物語の女(1934年)
  • 更級日記など(1936年)
  • ヴェランダにて(1936年)
  • 風立ちぬ(1936-1937年)
  • かげろふの日記(1937年)
  • 幼年時代(1938年)
  • 菜穂子(1941年)
  • 曠野(1941年)
  • 花を持てる女(1942年)
  • ふるさとびと(1943年)
  • 大和路・信濃路(1943年)
  • 雪の上の足跡(1946年)

著者・主な作品 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 


風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

 

堀辰雄初期の名作


燃ゆる頬・聖家族 (新潮文庫)

 

大和路と信濃路の旅の感動


大和路・信濃路 (新潮文庫)

 

名作「菜穂子」等3編


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