あらすじ
警視庁捜査一課刑事で謹慎中の水戸部は、四谷荒木町で15年前に起きた老女殺人事件の再捜査を命じられる。元刑事で捜査に携わった相談員の加納とともに再捜査を始めた水戸部は、事件の真相が捜査本部の方針だった地上げがらみでなく、老女の過去にあるのではと疑いを持ち、かって荒木町が花街だった頃、45年前に起きた事件を調べ始めるが…
目次
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感想
派手さはないが、いぶし銀のような味わいの推理小説だ。
時効制度の廃止により継続捜査になった未解決の老女殺人事件。事件に関係した有力者からの依頼で再捜査が始まる。担当するのは警察内部の事情で謹慎中の刑事水戸部と、かつてこの事件を担当し定年退職した相談員の加納という地味な組み合わせだ。
旧捜査本部では老女所有のアパートへの地上げが関係しているとの方針で捜査されたが、捜査を続けるうちに、水戸部は老女の過去と事件が関係しているのではないかと疑念を持つ。
紆余曲折の末、事件現場周辺の四谷荒木町が花街だった1965年頃に起こった出来事が発端で、さらにその30年後の1995年、当時の関係者のある出会いをきっかけに起きたものと判明する。
少し惜しいと思ったのは、地上げに関する捜査で浮かび上がった暴力団関係者が結局この事件とは関係なく、別の事件が浮かび上がるのだが、そちらの方の内容がかなり多いので、本筋の部分がやや薄くなってしまっている点。
ストーリー上こうした内容にしているのだろうが、読んでいて少し混乱してしまったので、個人的には少し残念だった。
荒木町と「策の池」
その点はさておき、物語時点の2011年から15年前、バブル崩壊後に起きた殺人事件、さらにその30年前の事件という重層的な時間の流れと、荒木町という、かって都内有数の花街の懐かしく情緒ある風景、そして事件現場周辺の底の部分に存在する「策の池(むちのいけ)」※(作品では「河童池」と呼んでいる)のイメージが交錯して奥が深い作品となっている。
※徳川家康が鷹狩りの時近くにあった井戸水で策(鞭,むち)を洗ったためこの井戸が「策の井戸」と呼ばれていたが、この井戸の湧水は高さ4mの滝(「十二社の滝」等の名前で呼ばれていた)となって池に注いでいたので「策の池」と呼ばれるようになった。池のほとりには弁天祠も置かれ、明治時代以降東京の名勝地だったが、現在では湧き水も枯れて、かつての滝つぼ部分のみが池となっている。
ちなみに「策の池」は明治時代以降名勝地で人が集まる場所だったため、周辺には茶屋、料亭などができ、芸妓のいる花街として栄えていた。発端の事件のあった1965年頃はまだ花街も健在で池のほとりには料亭もあり、このことも事件に関係してくる。
「荒木町は、小さな窪みのような地形をしているんだ。どん底に池がある。むかしは大きくて、滝が落ちていた。それを眺める客のために、その池のまわりにも料亭がいくつもできた」(作品より引用、以下同じ)
実は筆者はこの作品を読んで、舞台となった四谷荒木町と「策の池」を訪れたことがある。酔狂だと思われるだろうが、会社からの帰途、丸の内線・JRの四ツ谷駅を降りてこの近くの「四谷しんみち通り」でしばしば夕食をとっていたため、このあたりには土地勘があった。
今はもうないと思うが、しんみち通り入り口の中華食堂や洋食屋のバンビという店が当時のなじみの店だった。そして、通りの先はどうなっているのか、散歩がてらに探検したこともあったが、荒木町まで足を延ばしたことはなかった。
荒木町を訪れたのは多分2014年か2015年。地下鉄丸の内線の四谷三丁目駅から歩いたのだと思う。グーグルマップを見ながら「策の池」を目指したのだが、何度も迷い、静かな住宅地なので人目を気にしながら歩いたが、なかなか見つからなかった。
不思議な場所だった。窪地の底の地形であり、狭い階段を降り、曲がりくねった道を降りると、弁天様の旗が建てられた祠があり、小さな池があった。住宅地の中に急にそんな光景が現れて驚いたことを覚えている。
階段も道も狭く、曲がっているので閉塞感があり方向感覚がなくなっていたからだろうか。非現実な異次元空間にいるような気がした。
「荒木町」が醸し出す不思議な読後感
だいぶ話が横道にそれてしまい、すみません。
未解決事件の再捜査という作品の性格上、過去の事件の時代背景が書かれるのは当然だが、この作品はさらに荒木町が花街だったという歴史とバブル崩壊の頃の風景、そして荒木町という街の不思議な雰囲気が交錯して、地層のようにいくつもの層が積み重なり、不思議な読後感が残る。
何となくもやッとした真相と結末もそれと似あっているのではないか。
最後の答を出すのに、まだ少し時間の猶予はあった。(中略)自分がどうすべきか、まだ答を保留にしておけるのだ。いま結論を出すことはない。
上っているうちに、これまで荒木町では聞いたことのない音が聞こえてきたような気がした。多くの下駄の音、草履の音。石畳を踏みしめて何かが回転する音。女たちの笑い声。気っ風のいい男衆の声。引き戸が開く音、閉じる音。そして三味線の音も響いてくる。太鼓の音も、かすかにまじっているかもしれない。振動する空気には、何かなまめかしい温もりさえ含まれてきたように思えた。
それに加えて、筆者にはこの作品を最初に読んだ頃の記憶、「四谷しんみち通り」で夕食を食べていた頃の記憶、「策の池」を訪れた時の記憶が重なり、個人的に何とも感慨が深い作品だ。
結局、水戸部は本筋の犯人と思われる人物とは一度もあっておらず、作品中にも伝聞でしか登場していない。これも推理小説では珍しい。
水戸部の「最後の答え」は何なのだろう。
- 加納の思いを汲み逮捕しない
- 犯人に昔の恋人の遺体が見つかったことを告げ、自供を促す
- ホスピスにいる身で逃亡の恐れがないので逮捕せず、在宅起訴する
- 職務に忠実に淡々と逮捕する
筆者の想像は2と3の組み合わせだ。
この作品は、松重豊主演で、水曜ミステリー9「警視庁特命刑事☆二人~新宿・荒木町コールドケース~」として2017年にテレビドラマ化された。
また、シリーズの第2作は「代官山コールドケース」で、こちらも古き時代の代官山の描写が懐かしい。このシリーズ、しばらく出されていないが、第3作が待ち遠しい。
この作品をおすすめしたい人
- 警察もののミステリーが好きな人
- 時代を振り返る重層的なミステリ―が好きな人
- 地味だが味わいのある推理小説を好む人
著者について
佐々木 譲(ささき じょう、1950年3月16日 -)は、日本の作家。東京農業大学客員教授。北海道夕張市生まれ。北海道中標津町在住。京都や東京などで溶接工、自動車組立て工などのアルバイト生活や広告代理店や本田技研で広告関連の仕事に従事、1979年「鉄騎兵、跳んだ」で作家デビュー。歴史や犯罪を主に題材に採り、直木賞をはじめ数々の文学賞を受賞している。ミステリ分野では出身地の北海道警を舞台とした「うたう警官(のちに『笑う警官』に改題)」や警官家族の三代にわたる歴史を描いた「警官の血」などで知られる。
受章歴
- 1989年 『エトロフ発緊急電』で日本推理作家協会賞長篇部門・日本冒険小説協会大賞・山本周五郎賞を受賞。
- 1994年 『ストックホルムの密使』で日本冒険小説協会大賞を受賞。
- 2002年 『武揚伝』で新田次郎文学賞を受賞。
- 2008年版『このミステリーがすごい!』で、『警官の血』が1位。
- 2010年『廃墟に乞う』で第142回直木賞受賞。
- 2016年 第20回日本ミステリー文学大賞を受賞。
主な作品
- 『エトロフ発緊急電』(1989年)
- 『ストックホルムの密使』(1994年)
- 『武揚伝』(2002年)
- 『警官の血』(2007年)
- 『廃墟に乞う』(2010年) ほか
著者・主な作品 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「地層捜査」シリーズ第2弾!
北海道道警を舞台に描く警察小説の金字塔。道警シリーズ第1作。
道警シリーズ第3作!
刑事が異動で駐在に。これ面白いです。
三代の警官の魂を描く、空前絶後の大河ミステリー。読みごたえがあります。
「 警官の血」の続編。
警察小説の魅力に満ちた、直木賞受賞作!