あらすじ
夢を視覚化、映像化する機械ができ、さらに夢にセラピストが入り込んで精神疾患を治療することが可能となった近未来の話。精神医学研究所理事の千葉敦子はノーベル賞最有力候補の優秀な精神分析医である一方、他人の夢に入り込んで精神疾患を治療する夢探偵パプリカとしても秘密裏に活躍していた。研究所内では副理事長派の内紛が起こる中、同僚のPT機器開発の天才科学者時田浩作が開発した最新のPT機器「DCミニ」が盗まれる。敦子は盗難の犯人が副理事長たちで、DCミニを悪用して理事長や敦子たちを失脚させようとしていること知り、DCミニを奪い返そうとするが…
目次
第一部
第二部
感想
本屋の店頭に「やばい方のパブリカ」の帯がかっている文庫本を見て、久しぶりに筒井康隆の本を読んでみようと思い読んでみました。
筒井康隆氏は10代から20代の頃にかなりはまった作家で、特に初期の60年代70年代に書かれたハチャメチャ、ナンセンスでブラックな筒井SFワールドにはまって、一人で苦笑いしながらよく読んだものです。その後、氏は前衛的で難しげな作品を執筆されていたので、しばらくご無沙汰していました。
この作品は1993年の作品で、その後アニメ映画化や漫画化がされている、世間ではかなり知られた作品らしい。知りませんでした。
精神分析、夢という好奇心の持てる内容で話が進んでいきますが、次第に、夢と現実が交錯し、とんでもない方向にエスカレーションして、ハチャメチャになっていくストーリで、まさに筒井ワールド。アニメや漫画で好評だったのもなるほどとうなずけて、長編だが飽きることなく読むことができました。
昔の筒井ファンからは、次第に混沌となり、エスカレーションしていく筒井ワールドがとても懐かしかった!
フロイトなどの心理学や無意識、潜在意識には日頃から興味があるので、夢を映像化したり、夢の中にセラピストが入っていくというストーリーはすんなり受け入れられました。
教室があらわれた。夢を見ている能勢の視線は教壇に向けられている。教壇で喋っているのは六十歳くらいと思える細身の男だ。彼の発声は不明瞭であり、何を言っているのかよくわからない。(本作品より引用。以下同じ)
夢に入って分析する話は、以前にも読んだ記憶があって、例えば今でも最高に面白い物語だと思っている夢枕獏の「魔獣狩り」シリーズ(1984年~)には九門鳳介というサイコダイバーが登場して夢の中で魔物と戦っていました。
そういえば後半で出てくる大日如来や不動明王といった密教的な存在も、この「魔獣狩り」をはじめとする80年代、90年代の伝奇小説に数多く登場していました。′95年のオウムの事件以後は少なくなったような気がします。
また、夢の内容は鈴木光司の「リング」に出てくる貞子の呪いのビデオの映像内容を連想しました。無意識や夢を記述すると似た描写になるのでしょうね。
人格崩壊した人物の意識を記述した描写もかなり怖くて、真実のように感じられました。
モニターを見て彼女は慄然とした。そこにあるのは意識の断片に過ぎなかった。ほとんど空白状態の意識野に、ごく稀に腐りかけた巴丹杏、壊れたブラウン管、それぞれ貝ボタンやホチキスや玩具の破片やキャンディの包装紙などのように見える小物、婦人用便所の絵記号や地下鉄の表示その他の記号が時間間隔を置いて点点と散らばるようにあり、さらに稀には意識野の隅に日本人形がにたにた笑いながらあらわれてことことお辞儀をするという荒涼たる心象風景しか見えなかったからだ。
主人公敦子の敵は宗教的信念や倒錯愛を持つ人物であるため、夢に出現するものも見聞きしたことがある怪物、化け物ばかりで、ある意味「出たか」とワクワクしました。変ですね。
物語の後半は夢が現実に入り込んで来るので、結末も結局夢か現実なのかわからなくなりました。
「P・S・アイラヴユー」から始まる一つ目の文章の結末が現実で、一番最後の話の方は夢の中に残されてしまった二人の話と考えるのが普通なのでしょうが、どうなのでしょうか。多次元世界ということなのかもしれません。
ところで、この作品を読んでとても懐かしいと感じました。
懐かしいという意味の一つ目は、書かれたのが1993年で、携帯電話は出現していたが高価で普及はしておらず、PHSはまだ登場していないで、ポケベルが主流。インターネットもWindowsもまだ登場しておらず通信手段は固定電話だけの時代だということ。
今書かれたなら、現実と夢のほかにネットの仮想現実という世界も多分登場したように思います。
二つ目は現在ほど世の中が息苦しくない時代だったということ。現代の日本で一般的になった、「ポリティカルコレクトネス」(性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ)という考え方は1980年代の米国ですでに登場しており、日本でも知られていましたが、一般社会には今ほど浸透していませんでした。
作品の中で、今であれば批判されるだろう表現もありますが、当時は今ほど窮屈ではなく、ある意味おおらかな良い時代でした。言葉の言いかえなどは始まっていましたが、「言葉狩り」に反対する言論や空気もあり、もう少し寛容だったように思います。
理想を掲げるのは大事なことですが、考え方や好き嫌いは人それぞれで自由であるべきで、すべて平等でなくてはならないとか、弱者の立場で考えなければならないだとか決めつけるような風潮は正直息苦しいと思います…(その息苦しさへの反動が、例えばトランプ支持者のような人たちを生む一因となるのでしょう。)
話が横道にそれましたが、そうしたものも含めて、読んでみることをおすすめしたい作品です。
著者の他の作品では、60年代、70年代の初期のSF作品をまずおすすめします。下に記載したリンク先の中では、当時読んだ「笑うな」「にぎやかな未来」「日本列島七曲」などの短編集と最近新たに編纂された短編集の「日本以外全部沈没」「陰悩録」などです。
現代の作家の作品にはない(ありえない)、毒、パワー、ハチャメチャさに圧倒されると思います。
何度も映画化された「時をかける少女」も著者の作品だし、人の心を読む超能力少女七瀬が主人公のシリアスな作品「家族八景」シリーズ(宮部みゆきの「クロスファイア」にも似た感じの作品です。)もおすすめです。
これらの作品も、ぜひご一読を。
この作品をおすすめしたい人
著者について
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年9月24日 -)は、日本の小説家・劇作家・俳優である。ホリプロ所属。小松左京、星新一と並んで「SF御三家」とも称される。パロディやスラップスティックな笑いを得意とし、初期にはナンセンスなSF作品を多数発表。1970年代よりメタフィクションの手法を用いた前衛的な作品が増え、エンターテインメントや純文学といった境界を越える実験作を多数発表している。
主な作品(代表作)
- 『時をかける少女』(1967年)
- 『家族八景』(1972年)
- 『日本以外全部沈没』(1973年)
- 『虚人たち』(1981年)
- 『旅のラゴス』(1986年)
- 『夢の木坂分岐点』(1987年)
- 『文学部唯野教授』(1990年)
- 『わたしのグランパ』(1999年) など
著者、主な作品出典:フリーの百科事典「ウイキペディア」
アニメ「パプリカ」
ユニークな発想とブラックユーモアのショートショート集。笑えます。
テレパス少女七瀬が平凡な日常生活に潜む心の裏面をあぶりだす、恐ろしくも哀しい短編集。
狂気じみたにぎやかな未来への警告を軽妙なタッチで笑いの中に描く短篇傑作集。
映画、アニメでご存じの「時をかける少女」の原作です。
平凡な現実がぐらりとゆがみ、狂騒の世界が広がる極上短篇集。筆者の記憶に強烈に残る短編集です。
幻想小説、言語実験、ナンセンス、パロディ、純文学。著者独自の迷宮的世界を見事に展開する変幻自在の18編
毒と笑いと戦慄の小説集
世紀の奇書。奇想天外なパロディ聖書として読書界を驚倒させた表題作ほか9編。
生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か?異空間と異時間が交錯する世界に人間の一生と文明の消長を構築した連作長編。
以下は、内容ごとに最近再編集された短編集。他にもホラー等多様なテーマがあります。
⇩これ好きです。