あらすじ
隠れていたマテ貝の穴の中で、行楽の芸人たちが入れたステッキに腕を折られた河童が、神社の姫神様に仕返しをしてくれと頼む。姫神様は芸人たちを神社まで引き寄せて、蛇で脅かそうとするが、芸人たちが富士や諏訪の神様にゆかりがあることを知り、途中でやめる。芸人たちは驚いて宿に帰り、自分たちの行動をいぶかるが、神社の神様が踊りを求めたと思い部屋の中で踊り始める。河童は踊っては喧嘩にならぬと仕返しをやめ、住処の沼に帰っていく。
目次
なし
感想
泉鏡花はまだ初心者だが、堀辰雄がこの作品を批評した「貝の穴に河童がゐる」という文章で、こんなに気味の悪い作品は読んだことがないと書いていたので、非常に興味があり読んでみました。
一読目はそもそも話の内容が理解できず、何だこれは!という感想でした。聞き慣れない言葉が多く、主語が何かわからない文章なので、なかなかストーリーがつかめません。
何度か読み返して、ストーリーが見えてくると、面白くなりました。あらすじにストーリーをまとめましたが、まとめるのがなかなか難しい。ネットで調べても詳しいストーリーを書いたものがないので、あらすじで書いた内容が間違っていないか自信がありません。まああんなところだと思いますが、間違っていたらご容赦くださいませ。
冒頭の場面、河童が神社の石段を登っていく場面は、薄気味が悪い。ラブクラフトのクトゥルー神話の「インスマウスの影」だったか、あの作品を思い出すような生臭く陰気な雰囲気だ。
杖の尖が、肩を抽いて、頭の上へ突出ている、うしろ向のその肩が、びくびくと、震え、震え、脊丈は三尺にも足りまい。小児だか、侏儒だか、小男だか。ただ船虫の影の拡ったほどのものが、靄に沁み出て、一段、一段と這上る。……(作品より引用。以下同じ)
ただ、その後、神社の宮司が出てくる場面あたりから雰囲気が変わる。むしろ滑稽、エロチックな物話に変わってきた。
まず、河童の話し方、舌足らずで思わず笑ってしまう。この後ミミズクの妖怪が出てくるが、その言葉がとてもおかしい。
(河童)
「しんびょう、しんびょう……奇特なや、忰。……何、それで大怪我じゃと——何としたの。」「それでしゅ、それでしゅから、お願いに参ったでしゅ。」
(ミミズク)
「お爺さん——お取次。……ぽう、ぽっぽ。」木菟の女性である
何だこりゃ、アニメじゃないか!楽しすぎる。
それから、この河童はエロがっぱで、いやらしいことを考えるし、登場する踊り子の若い娘の描写が妙に色っぽくて魅力的だ。
その娘が、その声で。……淡い膏も、白粉も、娘の匂いそのままで、膚ざわりのただ粗い、岩に脱いだ白足袋の裡に潜って、熟と覗いていたでしゅが。一波上るわ、足許へ。あれと裳を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、かとも、翁様。」「ちと聞苦しゅう覚えるぞ。」
この作品だけでなく、泉鏡花の女性描写は今読んでも相当魅惑的。むしろ今の作家の文章よりも良い。この時代の女性の言葉、しぐさについては、現代の女より艶めかしく美しいと思える。
ついでに言うと、この河童は体の大きさを自由に変えられるようだ。それがわからなかっので、何が足袋の中や貝の穴に入るのかわからなくて、頭がこんがらがってしまった。
姫神様はさすがにエロチックではないが、美しい女神の神々しさの描写がまばゆいほどだ。
——紅地金襴のさげ帯して、紫の袖長く、衣紋に優しく引合わせたまえる、手かさねの両の袖口に、塗骨の扇つつましく持添えて、床板の朽目の青芒に、裳の紅うすく燃えつつ、すらすらと莟なす白い素足で渡って。——神か、あらずや、人か、巫女
話の流れとして、河童の逆恨み的な仕返しの願いを姫神様がなぜ受け入れたのかはっきりとは書いていないが、後で笛吹の男が推測しているように、踊りの名手である芸人たちの踊りを見たかったからかな、たぶん。そう考えると話の流れがすとんと落ちてくる。
毎朝拍手は打つが、まだお山へ上らぬ。あの高い森の上に、千木のお屋根が拝される……ここの鎮守様の思召しに相違ない。——五月雨の徒然に、踊を見よう。——さあ、その気で、更めて、ここで真面目に踊り直そう。
姫神様が、芸人たちが富士の神様、諏訪の神様にゆかりがあるのではと考える場面。神様たちもいろいろしがらみがあり気を使うのかなとおかしくなった。
「それでは、お富士様、お諏訪様がた、お目かけられものかも知れない——お待ち……あれ、気の疾い。」
宿に帰った芸人たちの話も、いかにも善人という感じがしてほっこりします。ここでも娘芸人がとても可愛らしい。
「どうしたっていうんでしょう。」と、娘が擂粉木の沈黙を破って、「誰か、見ていやしなかったかしら、可厭だ、私。」
そして、大団円で河童がカラスと共に住処に帰っていくところは、擬音だらけで絵本にもなりそうで、余韻もある。実際絵本にもなったようだ。
北をさすを、北から吹く、逆らう風はものともせねど、海洋の濤のみだれに、雨一しきり、どっと降れば、上下に飛かわり、翔交って、かあ、かあ。ひょう、ひょう。かあ、かあ。ひょう、ひょう。かあ、かあ。ひょう、ひょう。……………………
最初はおどろおどろしく、その後はむしろほっこり昔話という物語でしょうか。堀辰雄が批評の中で友人の言葉として言っているが、エロチック(現代の基準から見れば「魅惑的」といった方がいいかもしれない)も感じる作品です。私の読解力ではそれを理解するのみ何度か読む必要がありましたが。
結局、堀辰雄の書いていた「とても気味の悪い話」という評価については、冒頭はその通りだったが、全体としてはそんな感じは受けませんでした。時代が違い、映画、テレビ、アニメを通じて多くの気味の悪い物語に我々が慣れてしまっているからでしょうか。としたらそれはそれで、とても気味の悪いことかもしれません。
「貝の穴に河童の居る事」は泉鏡花の晩年1932年(昭和7年)の作品です。代表作というわけではありませんが、味のある作品です。
この作品をおすすめしたい人
- 怪異な物語の好きな人
- 良き日本の文化が好きな人
- 妖怪アニメが好きな人
- 泉鏡花が好きな人
著者について
泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説のほか、戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生まれ。
尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。ほかの主要作品に『照葉狂言』『婦系図』『歌行燈』などがある。
主な作品( 代表作)
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